無名だが、板付遺跡よりも更に古い可能性のある重要な遺跡
―糸島市(筑前国)
墓参りの帰り道、他愛もない話から
石崎曲り田遺跡を訪れた。この付近は先祖再興の地(それ以前からも家自体は在ったが騒動に巻き込まれお家断絶になったとか…)という事で調べていたところ、その近辺に地味で無名だがそこそこ重要そうな遺跡の存在を知ったのがきっかけである。
下調べの段階では、竪穴式住居の写真(
1・
2)があったため、小さいながらそういったものが見れる事を期待していたのだが、実際には
その跡と見受けられるものしか存在しなかった。案内看板などから想像するに、どうも一度は復元したものの撤去した様である。残念。
ただ、市のHPなどで見る事が出来た、
復元された甕棺墓で発掘時の様子を模した物は今も現存しており、ついで程度で訪れた身には十分満足できるものだった。
また、写真の奥に見える巨石は
支石墓と呼ばれる物を復元したそうで、甕棺墓と共に近隣の
石崎矢風遺跡の遺構を基にしたものらしい。
どうもこの遺跡跡には、付近の遺跡を纏め「歴史の里」として公開している様で、この柱の様なものはやはり
曲り田周辺遺跡で発掘された
掘立柱建物を模したモニュメントだそうだ。柱の高さなどに何の根拠もないただのモニュメントとは言え、当時の建物の規模をイメージするという目的であれば十分の出来具合だろう。
この石崎曲り田遺跡には野球場が隣接しており、何処から何処までが遺跡本来の範囲なのか、その規模などを含む当時の情景を想像するには難しいものがあった。しかし、この地にかつて人が居を構え、日常を過ごしていた事は事実であるし、だからこそ先入観に囚われる事無く好き勝手に妄想できる場所でもある。そういうのが好きな人には、遺跡付近の地理とある程度の説明書きだけでも十分見応えがあるに違いない。
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