※今回の最高の一枚
三原を去り、次なる旅先である福山市を訪れた。こちらも三原城ほどではないとは言え、駅の目の前に城が在るという変わった風景を目の当たりにする事が出来る。
―福山市(備後国)
駅から降り北口を出ると、正面に在る月見櫓が迎えてくれる。嘗ては将兵の到着等を確認する役目を有していたが、今ではこの地を訪れる来訪者を見守る様に聳え立っている。
改変が進んでしまった本丸南面の登城路を上がると、現存する数少ない遺構の一つである
①伏見櫓が正面に見えてくる。2層3重の巨大な櫓は、侵入者を心理的に圧倒する様である。実際そういった意図も有ったのではないだろうか。嘗て在った伏見御殿の跡地はそこそこ広く、そこを天守の方へ向かって歩いていく。②南面から見た天守は附櫓を伴い立派に佇んでいる。本丸の北西隅に在った棗木御門跡を通り
③二の丸北面側から天守を望む。戦災に因って消失する以前は鉄板が貼られ黒かったそうだが、復興の際にはそこまで正確には復元されていない。
福山城の遺構に関する沿革を知ると強く感じる事であるが、この市はどうも歴史的価値に対しての興味関心度が低いと言うか、どうも扱いが雑である。発掘に因って得られた遺構を破壊してまで観光化しようとしたり古写真や図面が豊富に残っていながら外観を好き勝手に改変する当たり頭が古いのか悪いのか、それとも派手好きなのか、見当違いな事をやっている。城に興味の無い観光客なんてものは極端な話天守さえあればそれで良いのだから、少しでも愛好家の心を惹き付ける様な整備の仕方を心掛けてもらいたいものだ。
二の丸北面を少し北上すると右手に横道が在る。そこを進むと福山市民なら誰もが知っていると云う④三蔵稲荷神社が在る。毎年ミス三蔵稲荷を選ぶコンテストが行われている事で有名なのだそうだ。二の丸を脇道に逸れずに北上し続けると東西に走る道を跨いで向こう側に
⑤備後護国神社が在る。本来は西側の参道が正面であるが、嘗ては南側が正面であった時もあるし、まあどちらから登っても良いだろう。嘗て対戦中に神武暦2600年を記念し芦田川河畔に移す計画が在ったそうだが、福山大空襲で建築途中で焼失し今に至っている。訪れた際は同世代だろうか、若い職員?の方が祝詞を朗誦していたのだが、こちらに気付くと丁寧にも朗誦を中断して挨拶してくれた。そういった事は初めてだったので少々驚いたが、とても良い感じだった。
①伏見櫓
②天守南面
③天守北面
④三蔵稲荷神社
⑤備後護国神社
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福山城の観光を粗方終え、その帰路に二の丸西側を歩いた。当時の面影は殆ど消え失せており、
⑥ふくやま美術館や
⑦広島県立歴史博物館が立ち並んでいた。
特に後者に関しては少しばかりでも観たかったのだが、福山城同様に定休日の為に立ち入る事は出来なかった。
⑥ふくやま美術館
⑦広島県立歴史博物館
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先述の様に立ち入れなかった場所がある為、また訪れたいと思った。次来る時は、どんな景色が撮れるのだろうかとの思いに耽りながら。
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