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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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萩+長門紀行

※今回の最高の一枚
 今回は父方の祖父母と叔母家族の旅行に同行した。毛利家260余年の恨みが生んだ維新胎動の地、萩へ赴く。どうやら甥の勉強の関係上仙崎にも行くらしい。

―萩市(長門国)
 
 博多駅を出立し、3時間程で萩市へ到着した。萩への訪問は実に10年振りである。勿論前回も萩城を観に行った。萩バスセンターで降り、早速萩城へと向かう。

 菊ヶ浜に沿い東西へと伸びる海岸通りを西に歩いてゆくと、先ずは東門跡に突き当たる。南北に伸びる水路は萩疎水という治水工事によって作られたものであり、嘗て在った中堀ではない。
指月小橋を渡ると直ぐに本丸が見えてくる。さほど時期も変わらない為か、10年前と少しも変わっていない様な印象を抱いた。ただ相変わらず天守台は草葉の緑や堀の碧を身に纏い、嘗ては赤瓦の天守がそこに聳え建っていたとは想像し難かった。
 

萩疎水

指月小橋と東門跡

東矢倉跡

時打矢倉跡

萩城本丸と内堀

萩城天守台

 
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 甥の鳩への餌遣りに付き合った後、極楽橋を渡って本丸へと向かう。木々に覆われかけた志都岐山神社の鳥居は、10年前よりも小さくなった様な気がする…年を取ったという事だろう。
本丸内には到る所に石碑が建てられており、改めて維新胎動の地である事に思いを馳せた。

指月山にある詰丸跡にも行きたかったのだが老体の祖父母には厳しく断念した。
少し残念ではあるが致し方有るまい。
 

本丸門跡

志都岐山神社鳥居

花江茶亭の門

詰丸跡登山口

本丸西側の門跡

萩城天守台2

萩城天守跡

付矢倉台の礎石

天守台と礎石

天守台からの眺望(本丸南面)

天守台からの眺望(本丸西面)

 
---
 
 本丸を出て、二の丸を通って萩資料館へと向かう。途中萩焼の工房がある等、意外に見所が有る。
そして何よりも、萩資料館の向かいに在る旧厚狭毛利家萩屋敷長屋が圧巻だった。萩市内で最も規模の多きい長屋らしく、部屋の数も多く有った。
 

萩焼窯陶焔工房

塩矢倉跡

毛利輝元公銅像

南門跡

萩資料館と食事処 城跡なかお

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(外)

旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(内)

井戸跡

萩八景遊覧船のりば

 
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 二の丸を抜けて、萩城下町へ。恐らくこちらの方が知名度は高いだろう。確かに趣き深い場所である。
敷地からはみ出した夏みかんの木には、そろそろ熟すかという頃合の夏みかんがたわわに実っていた。
 
 祖母の体力が持たず一旦ホテル萩の浜へ休憩をしに行く事にした。その道中では旧周家長屋門と呼ばれる立派な長屋門が現存していたが、内部は外観から想像するよりも少し質素なものだった。
 

天樹院毛利輝元墓所の高麗門

旧毛利家別邸表門

夏みかん

夏みかんの実る萩城下町の意匠をあしらったマンホール

旧周家長屋門(外)

旧周家長屋門(内)

 
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 休憩を終え再び城下町へと繰り出す。一時すると萩城の外堀が見えてくるが、往時は今よりももっと幅広く20m程あったらしい。時代と共に町家が張り出し狭くなったのだとか。流石は太平の世、と言った所か。10年程前に復元された北の総門は高麗門としては日本有数の大きさであるそうだ。そう言えば10年前も見に来たが、その時はまだ周囲の土塀やら何やらは復元されていなかった。かなりの期間をかけて復元されたそうで、月日が経つのは早いと、しみじみ思う。
余談になるが、10年前と同じ場所で記念撮影をした事を付け加えておく。
 

外堀

復元井戸

堀端の町家跡

北の総門

田中大将像

井上剣花坊詩碑

 
---
 
 そして少し早いが、この日の観光が終わった。撮影スポットとされる菊ヶ浜からの眺望は、確かに絶景だった。
 

菊ヶ浜からの眺望(指月山)


菊ヶ浜からの眺望(指月山:夜景)

萩の浜ホテル

 
―長門市(長門国)
 
 朝早くにホテルをチェックアウトし、金子みすゞの故郷、仙崎を訪れた。
現在は金子みすゞ記念館となった金子文英堂の内部は当時の姿を留めており、本好きの身としてはずっと居たくなる様な雰囲気だった。
帰りに車内から覗いた青海島は、晴天に恵まれた為かとても美しかった。 
 

金子みすゞ記念館(金子文英堂)

店内

和室

和室2



和室3

下關新市街圖

仙崎八景・屏風

金子文英堂本棚

土間

炊事場

五右衛門風呂

井戸

仙崎からの眺望(青海島)

 
―萩市(長門国)
 
 再び萩市へと舞い戻り、前日に回れなかった松陰神社近辺を訪れた。途中車内から見た明倫館跡は現在は小学校だかの校舎が建っているが、こちらも随分と歴史が有る様だが、平成24年に移築し、明倫館を往時の姿へと復元する事が決定したそうである。
また萩を訪れる楽しみが増えたという事だ。

 そして松陰神社へと到着し、早速境内へと向かう。松下村塾は境内の中央付近に在る為、どの方向からもよく見える。宝物殿 至誠館や吉田松陰歴史館など、他にも見所が満載で全く退屈しない。
200m程だったか先には伊藤博文の旧宅と別邸が現存しており、別邸の方は有料で内部に入れる様だったが時間の都合上断念せざるを得なかった事が少し残念であった。 
 

明倫館

松陰神社鳥居

明治維新胎動之地碑

松陰先生詩碑

行幸啓碑

松下村塾

宝物殿 至誠館

幽囚堂

御本殿前鳥居

御本殿

御本殿内部

手水舎

斎館

書庫

松門神社



杉家旧宅

井上剣花坊川柳句碑

花月楼

吉田松陰歴史館

記念館

吉田稔丸誕生地

公爵伊藤博文像

伊藤博文旧宅

伊藤博文別邸

 
---
 
 そして今度は、萩博物館へと向かった。こちらはホテルから近く前日も近くまで訪れていたが開館時間が過ぎていたので次の日に行く事にしていたのである。館内では写真を殆ど撮っていないが、博物館の名に相応しい展示物を多く有していた。
博物館の外観もまた城下町の雰囲気を壊さない昔ながらの意匠になっており、こういった所は「エレベーターの設置場所は、もともと大天守と本丸御殿をつなぐ橋上の廊下があったところで、このたびの新設にあたってはこの廊下の発想をうけつぎました」とか言って景観をぶち壊す大阪城には見習って欲しい所である。
 

萩博物館

レオ消防ポンプ自動車

郡司鋳造所跡出土木組構造鋳台
萩博物館 隅櫓(前)と長屋門(奥)

萩博物館 隅櫓

 
---
 
 最後に萩城下町の中枢部へと向かう。前日も訪れたが開館時間が過ぎていた為再度訪れる事にしたのだ。個人的には内部を公開している全ての屋敷を見て回りたかったが、時間が押している為、甥希望の高杉春樹旧宅のみ、内部を見る事にした。
内部は取り立てて感心する様なものが在る訳ではないが、明治維新に貢献した偉人の生家というものは嘗ての光景を思い浮かべながら見ると乙なものである。
ただ小倉出身の身としては少々複雑でもあったが…。
 

旧久保田家住宅

菊屋家住宅 主屋

菊屋家住宅 主屋2

菊屋家住宅 長屋門

萩城城下町

木戸孝允誕生地

木戸孝允旧宅

青木周弼旧宅

旧佐伯丹下家屋敷 表門

旧佐伯丹下家屋敷 母屋

旧佐伯丹下家屋敷 玄関前

円政寺

武家屋敷野田家

武家屋敷野田家 中庭

高杉晋作立志像

菊屋横丁

田中義一誕生地

高杉春樹旧宅 表門

高杉晋作生誕地

初湯の井戸

 
---
 
 そして祖父母らと別れ鳥取への帰路に就く。東萩駅から鳥取駅まで、実に341.7kmにも及ぶ長旅である。
旅の最後は、車内で長旅の疲れを癒しつつ、暮れる日に茜色に染まった日本海を眺める事とした。
 

東萩駅

 
 
 
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※今回は祖父母らの旅行に同行した為、旅費は一切掛からなかった。

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