廿日市紀行 旅行記 2013年05月23日 ※今回の最高の一枚 就活の合間に、神の島と呼ばれる日本三景の一つでもある宮島へ。この日は晴天で、初夏の香りがし始めていた。―廿日市市(安芸国) 広島電鉄の路面電車に乗り、宮島口でフェリーに乗り換えをする。この日は小学校の社会化見学か何からしく、少なくとも2校の小学生で発着場は埋め尽くされていた。フェリーで宮島に到着すると、年季の入った建物が目に入ってくる。早速目に入ってくるのが、潜龍門と言う小さなトンネル。昔は島民にとって重要な道だったらしい。フェリー発着場から西の方へ進むと途中で要害山と呼ばれる丘の様な山がある。ここは嘗て大内氏の重臣、陶晴賢の軍勢と毛利元就の軍勢とが戦う際に毛利側が利用した城で、毛利氏躍進の契機となった重要な場所だが、今となっては城マニアしか訪れない程閑散としており、鹿の群れの根城となっていた。潜龍門要害山から厳島神社を望む要害山(宮尾城跡)本丸跡二の丸跡と今伊勢神社箱薬研堀と桟橋存光寺方面を望む仁王門跡--- 要害山を下り厳島神社へと向かう。道中の町並みは情緒深く、古き良き日本を体感する事が出来る。多くの観光客は厳島神社や土産店にしか興味が無い様だが、この景色自体も十分に価値の有るものではないだろうか。日除けと雨除けとを兼ねているのだろうか、頭上に張られた木綿色の幌やそこから差し込む淡い光が何とも言い難い美しさを演出していた。要害山山麓の通り清盛通り世界一の大杓子お地蔵様清盛通り2--- 程無くして厳島神社に到着した。昇殿受付口は階段を下りた所に在る為、ぱっと見た感じ余り圧迫感が無く世界遺産への勝手なイメージと異なったが、参道入口辺りから世界遺産らしさを感じられる様になる。境内には境内摂社と呼ばれる社が多く在り、様々な神様が祭られている。それらを結ぶ回廊はどれも見事な朱塗りの欄干を備え木の板が敷かれており、非常に趣き深い。有名な神社ではよく見掛ける光景ではあるが、奉納酒樽も日本らしくて個人的には好きである。外国人の観光客が余り深く気に留めていないのが意外だった。境外にも境外摂社と呼ばれる神社が多く在り(先の今伊勢神社もその一つ)、厳島神社を出た後もその余韻に浸る事が出来る。夏には西松原で海水浴…は無理でも足を海に浸すぐらいなら可能なので、そう言う楽しみ方もアリかも知れない。そして厳島神社で最も撮りたかった写真が、夕焼けと大鳥居の組み合わせである。到着時間が遅く来た時には既に日が傾き始めていたが、逆に良い絵が撮れると思った。結果的には大鳥居の中に、海に映えた夕日が道を作り参道ならぬ「Sun道」が出現した場面を写す事が出来た為、フェリーの出港時間には遅れてしまったが良い一日を過ごす事が出来た。参道と鳥居客神社祓殿から高舞台方面を望む客神社拝殿鏡の池東回廊から大鳥居を望む卒塔婆石と康頼灯篭火焼前能舞台と能楽屋奉納酒樽大国神社天神社大願寺山門大願寺と九本松護摩堂宝物殿多宝塔西松原から厳島神社を望む西松原から厳島神社を望む(パノラマ)西回廊と修理撤去中の反橋(右奥)能舞台拝殿から本祉本殿を望む拝殿から本祉祓殿を望む金比羅神社長橋本殿裏の門揚水橋三翁神社荒胡子神社五重塔豊国神社本殿(千畳閣)大鳥居-『Sun道』大鳥居-『暮れ泥む大鳥居』---そして8時前に宮島を後にし、次の日の面接に向け準備を進める事となったのだが、面接で落ちたと知るのはもう少し先の話である。■次へ■[0回]PR