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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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彦根紀行

※今回の最高の一枚
 今回は大阪行の回数券が余っていた為、滋賀県の名城を訪れる事にした。今回は〝境目の城〟彦根城を訪れる。

―彦根市(近江国)

 彦根市に到着した時、やや曇りがかった晴れ模様だった。
駅前に在る井伊直政公像の大きさに感心しながら彦根城へと向かう。順調…な筈だった。
 

井伊直政公像

彦根城外堀跡

いろは松

井伊大老歌碑

 
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 彦根城に到着し佐和口多聞櫓の撮影をしていると、バッテリー残量の表示が急に残り僅かモードになった。
何故?昨夜きちんと充電していた筈なのに。そんな馬鹿な事があるのだろうか。ショックだった。

仕方ないから、急遽携帯メインでの撮影を行う事に決めた。
デジカメの方は、メインスポットに限り用いる事にしたのだ。苦肉の策であった。

表門橋を渡り入場料を支払うと直ぐに表御殿が見える。どうやら時間的に入れない様な事が書いてあった。
そんな筈は無い気がするが…今となっては勘違いだったかも知れない。何れにせよ残念である。

 彦根城は築城時に彦根山の森林を手付かずのまま残した為、本丸へと続く道はどれも山道そのものである。
また尾根を断ち切って作られた大堀切やそれを跨ぐ木橋は、敵の進入を最小限の普請で最大限の効果を発揮する事が出来る実践本位な造りとなっている。勿論その先には櫓門の乗っかった2つの大型の枡形が本丸に到るまでに在り、小振りの城ながらも難攻不落の名城っぷりを如実に物語っている。

また嘗ては鐘の丸に在ったと云う時報鐘は、鐘の音が付近の岩盤に反響し音が割れ城下の北の方まで届かないと言う理由から、現在の位置に移されている。
興味本位で鳴らしてみた所、思いの外大きな音が出たので少し驚いたが、とても情緒感の有る音だった。
 

佐和口多聞櫓(左)

佐和口多聞櫓(右)

馬屋

表門橋

表御殿(彦根城博物館)

表門山道

鐘の丸

天秤櫓

天秤櫓2

時報鐘

 
---
 
 彦根城の天守は小振りな代わりにとても煌びやかだ。
嘗て大津城の天守としてあがっていた5層のものを3層に改築したものだと云う。
それで何とも高さと幅の比率が不自然な筈である。
ただ、パンフレットなどで紹介される角度とは異なる、
西の丸側から見る天守は備中松山城を髣髴とさせる佇まいであった。

然しここでも不運に見舞われた。俄かに雨が降り始めたのである。
通り雨だったのか、一時して直ぐに止んだのが不幸中の幸いだった。

天守の最上階から望む佐和山城は、今は木々に覆われており唯の山にしか見えなかったが、
石田三成が好きな自分にはそれだけでも十分だった。
 

太鼓門櫓(外)

太鼓門櫓(内)

天守

天守から佐和山城跡を望む

着見台(月見櫓跡)

 
---
 
 天守の北側、西の丸を北上して行くと、西の丸三十櫓が見えてくる。
作りは非常に簡素ではあるがとても立派な櫓である。

その先は山崎郭と呼ばれる稜堡の様に突き出した曲輪が在る。どうやら秋は見事に紅葉する様だ。

帰りは大手山道を通って帰ったが、やはりこちらにも立派な枡形や大堀切が有り、
容易に侵入出来る雰囲気ではなかった。
 

西の丸三十櫓(外)

西の丸三十櫓(中)

西の丸三十櫓(内)

観音台

山崎山道

山崎郭

大手山道

地蔵尊(金龍大明神)

大手門橋

 
---
  
 大手門橋を渡ると嘗て武家屋敷が立ち並んだ通りに出る。
現在では数える程しか残っていないが、それでも十分に見応えのある規模だった。
 

旧西郷屋敷長屋門

旧西郷屋敷薬医門

脇家屋敷跡

木俣屋敷跡

 
---
 
 こうしてアクシデント尽くめの彦根観光だったが、最後の最後でまた大雨が降り始めた。
今度は土砂降りの雨である。バッテリーも切れた事だし、長浜城を訪れるのは明日にしようか。
 
 
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