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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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伊勢紀行3

2日目、憧れのお伊勢さんへ―さあ、最後は内宮へ
 
―伊勢市(伊勢国)
 

 
 3日目の朝、完全に風邪を引いてしまったという事を悟る。のど風邪の様だ。しかし、やはりまだ日の昇らぬ内にドミトリーハウスを発ち、今度は内宮へと向かった。
その途中、猿田彦神社を訪れた。この神社は交通安全・方位除けの神社として信仰されているそうで、余すところ1日となった旅の安全を祈願する場所として最適な場所だったと言える。因みに境内には芸能の神様を祀る佐瑠女神社がある。
 
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その後7時頃に内宮へ到着し、宇治橋という橋から、今度は右側を渡り境内へと進んだ。
 
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 橋を渡り神苑と呼ばれる開けた場所を南に進むと、右手に御手洗場という場所に出くわす。
第一鳥居を潜る少し手前に手水舎があるが、内宮では五十鈴川で禊をする事も可能である。と言うよりも、神宮の公式サイトでは
 
天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めします。
とある。実際にその方が貴重な体験を味わえるのだし、何より心地良いのだ。
 
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 第一鳥居と第二鳥居との間、行在所などのある区域にひっそりと鎮座する社がある。瀧祭神と呼ばれるものだ。
メインストリートから外れる上に、周囲を木々に覆われているため、その存在を予め知っているか、脇道に逸れるのが好きかのどちらかでないと気付かないだろう。実際、自分がここを訪れている最中に誰かと遭遇する事はなかった。
 

 
第二鳥居を潜り抜けると神楽殿が見えてくる。外宮でもそうだったが、この神楽殿の照明は実に柔らかでほっとする様な温かみがある。内宮を訪れた際は、曙の空と混ざり合い、更に良い雰囲気を醸し出していた。そしてやはり、ここでも速御朱印を頂いた。
 
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 正宮へと向かう前に、一つ訪れておきたい場所がある。風日祈宮である。ここは風日祈宮橋という橋を渡った先に鎮座する別宮である。元は風神社と言ったそうだが、元寇の際に神風を起こしたとされ、以降は日本を救う祈願の対象となったそうである。
そんな場所だから、神宮を訪れた以上はやはり、日本人として参るべきだろう。それに、風日祈宮橋からの景色も絶景である。紅葉した時期でもあるのだろうが、雑誌の撮影が行われるだけの場所である事を記しておく。
 
 余談になるが、この宮で嘗て事件が起きた。風日祈宮放火事件と呼ばれるそれは1975年に起きた放火テロ事件である。新左翼の共産主義団体が主犯だそうだが、公安に極左暴力集団として認定されている。現在は環境保護と平和を前面に打ち出しているが、実態は禄でもないのだ。
因みにこの時は「神風」は吹かなかったのだろう、門の半焼で済んだ。無法者に神風は吹かない、と言ったところだろうか。
 
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 そして、遂に皇大神宮(内宮)正宮へと辿り着いた。こちらは外宮と異なり、既に古い社は解体されていた他、奥への立ち入りも禁止されていた。
8時前には殆ど人がいなかった正宮付近は、8時を過ぎた頃から人で溢れ返り始めた。ツアー客の到来である。これを予め想定しており朝早くから来たのだが、正解だった様だ。お蔭で心置きなく写真を撮る事ができた。境内の静けさを味わいたい人、人の映り込みを気にせずに撮影したい人等は夜明け前には到着しておく事を強くお勧めしたい。
 

 
正宮への参拝を終え出口から伸びる道を行くと、荒祭宮という別宮が鎮座している。ここは比較的開けている割には人が少ない。正宮への参拝以外には余り興味のない人が多いのだろうか。そうであれば、何とも勿体無い話である。
 
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勿体無い話はまだまだ続く。神宮司庁付近にある子安神社・大山祇神社がある。ここは前者が安産・縁結びの神様を、後者が山の神様を祀る社である。確かに立派でも特徴的な何かがある訳でもないが、行かないのは勿体無い。しかし、そのお蔭で静けさを楽しむ事ができたのだが。
 
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内宮を去り、今度は観光名所のおはらい町を訪れた。ここは江戸時代の街並みを再現した鳥居前町で、年間450万人以上の来客ああると言う。20年前におかげ横丁が出来るまでは、近代化が進んだ事もあり32万人にまで落ち込んでいたそうだから、驚きである。因みに江戸時代は年間400-500万人程であったそうだから、往時の勢いを完全に取り戻したどころか、超えつつある。
 

 


そんな場所で、昼食を摂る事にした。先ずは赤福餅で有名な赤福本店を訪れる。言葉では言い表す事の出来ない絶妙な甘さ加減が空腹の身に染み亘る。
 

 

 
その次にはおかげ横丁の食事処で伊勢うどんを食した。イメージとは少々異なったが、無駄が省かれ質素だが格別の味わいがあった。
 

 
おかげ横丁は、江戸時代の街並みを細かく再現しており、素人目線だと植えられた木々に至るまで不自然さを感じなかった。
 
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 おはらい町・おかげ横丁を観光し土産を購入した後、月読宮を訪れた。天照大御神の御親神である伊弉諾尊と伊弉冉尊や弟神である月読尊を祀る、重要な場所である。自分が訪れた際は、遷宮の真最中だった様で、新殿は造営中であった。昨年度末に造営が終了した様である。
 
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最後に、倭姫宮を訪れた。この宮は大正時代に新造された、唯一創建時期が明確な別宮である。
とは言え、既に創建から100年が経っており、決して見劣りする事はないし、創建の経緯を知ればより歴史の重みを体感できる事だろう。勿論、お約束の御朱印も、きちんと頂いてきた。
 
因みに、この別宮のある場所は日本最古の産業博物館である神宮農業館等がある。時間があれば中までじっくりと見たかったのだが、残念ながら時間の関係上外観を見るだけに終わった。
 
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 お伊勢参り全ての予定を終えたのは、13時頃だった。本来であれば、これから経由地である大阪で道頓堀や通天閣、天王寺に梅田スカイビル等といった観光名所を訪れてから鳥取への帰路に就く予定だった。しかし、2日目から引いていた風邪がいよいよ悪化し、体力的に持ちそうになかったため、予定を全て白紙に戻し夕食だけ摂る事にした。
 
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 三重旅行を振り返ってみると、今までになくゆっくりとした旅だった事に気付く。1日目こそ日没まで歩き回ったものの、残り2日間は朝6時から遅くて14時頃までしか観光らしき観光をしていない。それは勿論、風邪の影響が大きいが、ガイドブックの言う通り「伊勢は夜が早い」のも無視できないだろう。
そんな、今までとは大きく異なる旅の仕方は、熱に浮かされる身に、印象強く残った。
 
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振り返ると、2013年という年は45もの紀行文に表れる様に、正に旅の年であった。
今後は経済的・時間的に、旅をする機会が少なくなる事が明白である。
これ程旅をする事ができるのはもうないのではと思うと、その締め括りがお伊勢参りだった事に、何か深い縁があるの様な気がしてならない。
 
■伊勢市の写真を見る■
http://tabi.sarashi.com/mahoroba/伊勢.html
 
 
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