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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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国府道中


※今回の最高の一枚


 何もする事がないのは耐えられない。然し、お金は無い。そんな訳で今回は地元鳥取の、自転車で行ける場所内の史跡を巡る事とした。

行き先は鳥取市岡益地区、目当ては「岡益の石堂」「梶山古墳」である。

途中までの道のりは雨滝迄へのそれと同じ。今回の目当ての史跡と雨滝との分岐路の一歩手前、国府東小学校を通過する。



そして分岐路へ。


※写真は帰りの際に撮影したもの

右の分岐路へと進んで暫くすると、案内標識が在った。



岡益の石堂の方が近いのだが、この看板には載っていない様だ。その後1分足らずで岡益の石堂の入り口に到着した。意外と立派な案内看板が在る。



もともとの目当ては石堂だけだったので、最短ルートを選ぶ事にした。



中々雰囲気の在る石段である。最近体を動かしていなかったためか、意外に直ぐ息が切れ始めた。若いのに…

そして1分後に到着。



-遠景-

正面から

裏側から




中に入れないのが残念だが、古代っぽい感じが良い。
実際の所は宮内庁に「宇倍野陵墓参考地」(安徳天皇)として指定されている為、古代と中世の狭間頃のものである。
因みにこの宇倍野陵墓参考地であるが、鳥取県では唯一、中国地方では3つの内の一つである。

そして序でに「三十三観音石像」の在る石堂の森へ…。



先ず目に入るのが「岡益廃寺跡」の標識。



5~10mほど進むと礎石であろう石が整然と並んでいる。



宇倍野陵墓参考地に指定される際に石堂周辺を掘り下げた為に古代の面影が無くなったそうだが、
事実であれば誠に残念な話である。
そして石堂の森へ…二十三の石像探しに意外と嵌ってしまい、時間の大半を潰してしまう事になった。






一番像

一番像(?)

二番像

三番像

四番像

五番像

六番像

七番像

八番像

九番像

十番像


---

十二番像

十三番像

十四番像

十五番像

十六番像

十七番像

十八番像

十九番像

二十番像


---

廿二番像

廿三番像

二十四番像


---

廿六番像

廿七番像


---

廿九番像

丗番像

丗一番像



説明板には二十三基とあるが、発見したものだけでも二十八基は在った。…これは如何に??

他には展望広場やいこいの森と言うエリアに立ち寄った。
展望広場には高床式?風の建物がある。展望台の様だが、気が多い茂っており眺めは良くない。



その他には岡益古墳群が所在するが、どの辺りが古墳なのか分かり辛い。
若干盛り上がっている部分がそうなのだろうか。であるならば非常に小さい気がするが…











---

 次は梶山古墳へ。予想以上に岡益の石堂で時間を費やしてしまったため、
時刻は17時を回り辺りは茜色に染まり始めている。

少し道が分かり辛かったものの、3分程で無事到着した。
入り口付近には複数の案内標識が在った。









同心円状の石段を上がると、立派な石垣が現れる。
右端の階段には「ここは我輩のものだ」と言わんばかりの態度で三毛猫?が鎮座している。



石段前にはやはり立派な標識が在る。
どうやら今目にしている石垣は保護する際に詰まれた石垣の様だ。



少し馬鹿丁寧な程に、案内標識が点在する。





日本最古の方形壇を持つ変型八角形古墳であり、中国地方で初めて発見された彩色壁画が石室に在るのだそうだが、
現在は劣化を防ぐために厳重に管理されている。
春と秋の気温差が少ない時に一般公開されているとの事。ぜひ生でお目にかかりたいものである。



古墳の最上部からは東屋などが見え、心地良い。



---

因幡国庁跡への道中で、岡益の石堂に隣接する長通寺を撮影。土手には梅の花が咲いていた。
もう春なのだなぁ、と感じさせられるひと時である。





その他にも等ヶ坪廃寺跡の礎石に出くわす等、この一帯が昔は栄えていた事を偲ばせる。



然し今となっては田畑が唯々果てしなく続くのみ。時代の移り変わりには何者も逆らえないのだろうか。



日が落ち様としていた。



---

 日が暮れる。夜が訪れ始めている。風は少し冷たさを帯びてきた。
そんな日を改めても良い中、敢えて因幡国庁跡へ向かった。

夕焼けを背景にした、素敵な景色が見られる事を期待して。

因幡国庁跡に到着した頃、日は面影山の下へと沈みかけていた。



案内標識を読む時間さえ惜しい。



正殿跡から、市街地方面を望む。





こちらは南門、と言う門が在った場所らしい。



---

 日が殆ど沈み、辺りが暮れ泥む頃、一枚の象徴的な写真を撮った。

―嘗て栄えた都と、今に栄える都。



両者を見守り続けた面影山は、何処と無く寂しげで、然し穏やかに在り続ける。

何時の日か、あの都も過去のものとなるのだろうか。
その時もまた、面影山は唯々見守り続けるのだろう。
「人の世は儚いものだねぇ」なんて思いながら。


人の世も 時の随に 夢と消ゆ ただ面影を 山に託して


嘗てこの地で万葉集最後の歌を詠んだ大伴家持なら、この風景を見て何と詠むのだろうか。

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