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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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福井紀行

※今回の最高の一枚
 北陸の旅2日目、今度は一乗谷朝倉氏遺跡や北ノ庄城跡、福井城を観に福井市を訪れた。
 
―福井市(越前国)
 
 福井駅近くのバス停から一乗谷へと向かうバスに乗り到着したのは昼過ぎ、太陽が真上に昇り、最も日陰が出来難く暑い時であった。当時の気温は勿論、一乗谷の規模をかなり小さいものと想像していたしていた自分は一乗谷朝倉氏遺跡資料館で貸し出しているという自転車を用いずに、復元町並前のバス停で降りた。
 
これが間違いだった。一乗谷城跡へ登る時間は無いにせよ、それ以外の部分、つまり谷間にある当時の遺跡は全て観て回ろうと上城戸跡の先に在る、安養寺跡、御所跡から先述の資料館まで北上する形で観光を始めたのだが、10kg近いバックパックを背負い炎天下の山地を歩くのは非常に体力を消費する行為であった。
 
①一乗谷朝倉氏遺跡を代表する唐門に到着した頃には既に体力の大半が尽きていた。それでも目的であった唐門をしっかりと観て写真に収め、②朝倉義景の館跡や国の特別名勝である②湯殿跡庭園③諏訪館跡庭園を観て回り、全国的にも珍しい当時の町並を復元したという復元町並を訪れた。④町屋⑤武家屋敷が立ち並び、所々では展示や体験コーナーが設けられている等、来訪者を楽しませ様とするサービスが多く行われていた。
 
 体力の限界と(無駄に)闘いつつ平面復元地区を訪れ、更に下城戸跡へと向かおうとするものの、バスに間に合わない!と思い復元町並へと引き返す。然し間に合わないと思っていたバスは、土日のみの運行で、存在しなかった。引き返さなければ良かったと悔いつつ、自動販売機で1ℓ分の水分を補給し、間食にする団子を購入し、次のバスを待ちながら、消耗した体力の回復に努めた。
 

①朝倉義景館跡 唐門

②朝倉義景館跡と湯殿跡庭園

③諏訪館跡庭園

④復元町並 町屋

⑤復元町並 武家屋敷

 
---
 
 帰りはバスより電車の方が先に福井へ到着する為、電車を用いたが、何時もの事なのだろうか、一両しかない列車内は混み合っており、体力回復の為に座る事は叶わなかった。

そうしてやっと到着した福井駅ではホームのベンチで休憩しつつ間食を摂り、体力が回復するのを待った。
その後訪れたのが甕割り柴田で有名な柴田勝家と戦国一の美女とも云われたお市の方最期の地である北ノ庄城跡である。北ノ庄城は嘗て九重の天守が有ったとも伝えられる、日本最大規模の天守を有する立派な城郭であったそうだが、その後福井城が築かれた際に殆ど跡形も無く葬られてしまったらしい。
実際に現地を訪れてみると、人目を引く⑥北庄城復元模型があるもののそれ自体も想像の域を超えないばかりか、⑦柴田勝家の銅像等が有る以外には僅か二か所程に⑧遺構がかなり原形を留めない形で残存しているに過ぎず、当時の面影は全く無いに等しい。現在は嘗て本丸が在ったとされる場所に柴田勝家を主祭神とした⑨⑩柴田神社が鎮座している。
 

⑥北庄城復元模型

⑦柴田勝家公像

⑧北ノ庄城遺構標示

⑨柴田神社 拝殿

⑩柴田神社 本殿

 
---
 
 日が傾き始めた午後4時過ぎ、福井城を訪れた。今となっては本丸とその周りの内堀が残るのみではあるものの、本丸だけでも十分に大きい。その本丸を御城本橋から時計回りに回ると平成20年に復元されたという⑪御廊下橋が見えてくる。山郷口御門跡が工事中の為、橋を渉って天守台へと向かう事が出来ず、天守台の在る⑫本丸北西部の石垣や近くの福井神社を写真に収めた後、北不明御門跡へと繋がる本丸北部の土橋から天守台へと向かった。
 
福井城の天守台は特徴的な構造をしており、その様は小規模な天守曲輪といった所である。恐らく天守だけになってもなお籠城し続ける事を可能にする為の構造なのだろう、曲輪内には福井の名の由来となった⑬福の井が在る。
 
県議会や県警の建物が建ち並ぶ中、(当然だが)隅っこの方にひっそりと存在する⑭天守台を観ると、盛者必衰の理という言葉を思い出す。そして何よりも阪神淡路大震災に相当したという福井地震に因って、整然と積まれていた天守台や⑮控天守台の石垣は大きくうねり、また所々で崩壊が見られる。
福井地震は東日本大震災、阪神淡路大震災と並び戦後日本の震災としては今も3番目の規模の震災なのである。
 
最後に福井市立郷土歴史博物館付近に在り、平成15年頃に復元された⑯舎人門を訪れる。こちらも赤瓦が葺かれており、黒瓦に見慣れている為か少し新鮮に感じた。
 

⑪御廊下橋

⑫本丸北西部の石垣

⑬福の井

⑭天守台

⑮控天守台

⑯舎人門

 
---
 
 最後は先述の歴史博物館の東隣に在る養浩館を訪れる。舎人門周囲の外堀に沿って東進する途中、地元の方に声を掛けられ話をした為少々遅れたが、袖振り合うも多生の縁、良い思い出である。
 
そうこうしながら着いた⑰養浩館は、前日に兼六園を訪れた事もあってか、そこまで驚く様なものではなかったが、暮れ始めた日の光を受けて煌めく水面は中々美しいものである。夜までまだまだ時間があるが、ここから観る月はさぞ美しかろう、⑱御月見ノ間は夕日を畳に染み込ませ、上質な造形美に磨きを掛けていた。
 

⑰養浩館 池北西からの景観

⑱御月見ノ間

 
---
 
 さて、ようやく2日目の旅が終わりを迎えた。列車に揺られて金沢駅へ、そして明日は最後の日とは言えケチらずにコインロッカーを利用しようと心に決めつつ、歩いて駅から40分ほど先に在る宿泊先のネットカフェへ向かうのだった。
 
 
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