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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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高松紀行

※今回の最高の一枚
 節目の日に予定が何も無いのは悲しい。そう思い予てからの願望を形にする事となった。
今回は鳥取→高松→丸亀→高梁→岡山の順に巡る、1泊2日の旅を紹介する。

―高松市(讃岐国)

 汽車内から昇る朝日を拝み、雪の残る山を越え瀬戸大橋から数多の島を望み、およそ4時間後に念願であった四国への〝上陸〟が叶う事となった。

その日、天気予報では午後から雨。急ぎ早に歩を進め、高松城へ向かう。
どうやら道を間違えた様で、一通りの殆ど無い側の入り口へと歩いていくと高松城に現存する櫓の一つ、艮櫓が見えてきた。



思ったよりも人気の少なく辺りは寂しかったが写真を撮る上ではその方が好都合である。

艮櫓と繋がる多聞櫓が10m程続いた後、旭門が現れる。
入り口は立派な虎口になっており、旭門を入り左に90°曲がると更にその先を90°曲がらなくてはならないと言う、良く出来た造りになっている。
因みに旭門を潜って直ぐ右手には埋門と呼ばれる、石垣を刳り貫いたかの様な門がある。
どういった理由で作られたのだろうか。

城内の中心部へと進んでいく最中、後ろを振り返ると周囲の風景に合っているのか合っていないのか分からない様な木の標識が在る。記念撮影用だろうか。
自分の入城した場所が〝裏口〟にあたるのだとすれば、見学を終えた一行がここで記念撮影をする事は想像するに容易い。

更に進んでいくと純和風の屋敷が見えてくる。
披雲閣と称するこの建物は、旧藩主の松平氏が大正時代に再建したものだそうで、昨年夏に国の重要文化財に指定された由緒ある建物である。
奥には四国最大の高層ビルである高松シンボルタワーが見える。



披雲閣へと続く道を更に進んでいくと、修理中の天守台が姿を現す。



この修理は先日終了し、3月20日には改めて一般公開されたが、最終的には嘗て四国最大であったと言う天守閣の復元が検討されている。
復元された暁にはまたこの地を訪れる事になるだろう。今の内から楽しみである。

二の丸から望む天守台に天守が有った頃、鞘橋との組み合わせは今以上に壮麗だったのではないだろうか。



---

 本丸へと続く鞘橋を間近で見届け、着見櫓へと続く道を進むと有事の際には軍船を引き入れる事も可能であったと言う水門が在る。
通常時は干潮の差に合わせて城内の水掘りの水量を調整する役目があったらしい。
案内標識に従って道を進んで行くと披雲閣の裏口があり、その道を曲がると着見櫓に到着する。



嘗てはこの門を潜ると眼前には海が広がっていたそうだが、辺りが埋め立てられた今となっては
その面影を辛うじて留める程度であり、水門から外へ出る事さえ出来ない。

着見櫓を外側から見るためには一度城外へ出る必要が有る。
嘗ての名残である小さな干潟が周囲を囲っており、水門の傍までは行く事が出来ない。
やはり場所の特性上鳥が多く訪れる様で、真白な鷺も見る事が出来た。

---

 その帰り、丸亀へ行くべく駅へと向かう最中、一軒のうどん屋を見つけた。
香川に来て無碍には出来ない。時刻は調度、食事時。どこかから帰って来たらしい店の夫人に促された事も有り、この店にする事にした。



しっぽくうどんと言う聞いた事の無い、しかし興味深いうどんを頼んでみたが売り切れたとの事で(昼少し前なのに、である)、仕方ないので次に美味しそうな梅干うどんを頼んだ。



これがまた美味しい。伊達にうどん県を名乗っている訳では無い様だ。
また高松へ訪れる理由が出来てしまった。

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 そうして絶品のうどんを食べ終えた後、シンボルタワーを背後に抱く高松駅を名残惜しみつつも去り、次なる旅先、丸亀へ向かった。


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