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旅暦『まほろば』

―森を駆け、遺跡を求めて道を歩み、海を訪ねては潜る。尋ねる先は、日出ずる国。

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鳥取道中


※今回の最高の一枚


 ふと鳥取城を訪れたくなった。
鳥取に住み始めて最初に訪れた観光地だったからだろうか。

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 鳥取城に辿り着いた時、時刻はおよそ16時半、日没まで1時間半程の頃である。
先ずは吉川経家像へ。1993年に建立されたこの銅像は、今年で二十歳を迎える。
死なずに済んだにも拘らず自害する辺り、武士の誇りと言うものの難しさを感じさせられる。





この方角から見ると、現在にまで残る鳥取城の遺構のほぼ全てを捉える事が出来る。
鳥取城復元に際し移転の是非が問われている鳥取西高等学校だが、
錆びたボール避けのフェンスが良い味を醸し出しており、これはこれで良いのではないだろうか。



---

 堀沿いの道を北西へ進むと、搦手門である北の御門に到着した。



大手門に当たる中の御門が先の高校への登校口となっている事もあってか、
現在はこちらがメインの登城口となっている。

その登城口を進んでいくと、左手に博物館、右手に仁風閣が在り、その更に先に
中仕切門(西坂下門)が現れる。明治維新直前に建てられたものらしいが、
現在見る事が出来るものは1975年の突風で倒壊し、復元されたものだそうだ。






道に沿って進んで行くと、右手の眼下に宝隆庭園跡やそこにどっしりと構えた仁風閣が見える。



日が暮れ始める中見る仁風閣は何処となくノスタルジーな気分を与えてくれる。

そうして居る内に、右膳の丸へと繋がる石段に到着。桜の時期は威風堂々とした石垣に
文字通り花を添えた、雅な光景が広がる。



一転して二の丸へと繋がる石段は鬱蒼とした森を正面に迎えるため、
初見だと道を間違えたのかと不安になる様な、そんな雰囲気が有る。



石段を登ると一気に視界が開け、市街地を眺望する事が出来る。
夕日に照らされた淡い橙色が、嘗て三階櫓の在った石垣を柔く彩り、諸行無常の念を抱かせる。







70年近く前の大震災で崩れ落ちた石垣も今となっては嘘か幻かと思える程、整然としている。





時の流れは、喜怒哀楽の全てを日々の中に埋もれさせてしまうのだろうか。





それは果たして、良い事なのか、悪い事なのか…。

---

 右手前の菱櫓跡から、天球丸風呂屋御門を臨む。



天球丸の敷地そのものは唯々芝生が生えるのみであるが、眺望は中々良い。





二の丸と天球丸の間を、山際を這う様に繋いだ細い道が在る。

その二の丸側の入り口には小さな祠が在り、道を通るには手前の鳥居を潜る必要が有る。





鳥取に越してきた当初は、天球丸の石垣の修復作業の為にこちらから山上の丸へと歩を進めた覚えが有る。いやはや懐かしい。

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 帰路に就く。

三回櫓跡の石垣の雄大さを改めて感じる。



開場時刻の過ぎた仁風閣は扉が閉ざされており、無尽の中佇む様に哀愁の念を抱く。



登城口を区切る内堀から、遠くに中の御門へと繋がる橋を望む。澄んだ水面に趣を感じる。



改めて全体を見渡すと、重厚な石垣群が嘗ての荘厳さを物語る。



---

 帰り際に立ち寄った三の丸跡。
嘗て侍屋敷が在った場所には重厚な趣の校舎が在る。



更に奥へ行くと右奥に城郭としては全国で唯一と言われる巻石垣が微かに見える。



この時、巻き石垣の存在を知らなかった事が悔やまれる。
次に訪れる際には必ずしっかりと見届けたいものである。

---

 こうして数年振りの鳥取城訪問が幕を下ろした。
復元工事の進む鳥取城は、きっと訪れる度に新鮮な気分に浸らせてくれる事だろう。
そんな城が地元に在る事を、嬉しく思う。


さて、次はいつ訪れようか。

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