名高き九鬼水軍の夢の跡…
―鳥羽市(志摩国)
嘗て志摩国の中心地であった鳥羽市には、あの有名な九鬼水軍の居城跡が在る。水軍の居城であったこの城は大手門が海側に在ったそうで、城好きとしては一目見ずには居られない。
そこで二見興玉神社の参拝後に少し足を伸ばしてみる事にしたのだ。
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電車の車窓を覗くと、青く広がる空と海やその所々に落ちているかの様に存在する小さな島々が織り成す景色に、思わず見入ってしまう。リアス式海岸であるが故に見る事が出来る小さな入り江には、鴨等の水鳥が多く泳ぐ光景を目にする機会がよくあった。
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鳥羽市に到着後直ぐに鳥羽城跡へと向かう。少々分かり辛い登城口を登り切ると拓けた公園の様な場所へと繋がっている。半月程前までは色鮮やかに着飾っていたであろう紅葉は殆どが落葉し、地面を埋め尽くしていた。
恐らく三の丸であろう場所からは
伊勢湾に浮かぶ坂出島や答志島、ミキモト真珠島といった大小様々な島々を一望する事が出来る。
本丸を目指し歩を進めて行くと、恐らく鳥羽城最大の見所である
段石垣が見えてくる。上から見下ろすのも良いが、やはり大手門前からの眺望が一番であろう。
どこまで忠実な物なのかは不明だが、
大手門跡付近に建てられた門らしきものが絵になって良い。と言うよりもその前に張られている左三つ巴紋の幕に因るものが大きいのかも知れない。
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打って変わって本丸の周囲を見て周りながら、上を目指す。
その途中に見える
土塀は、当時の遺構なのだろうか。敷地には幼稚園らしき校舎が在ったが、平日にも拘らず子供一人居ない所を見ると廃校になったのだろう。実際、校舎は劣化が激しい感じであった。
鳥羽城跡は城の破却後、平成21年まで
小学校の敷地として利用されていた。その為今でも当時の校舎が現存しているのだが、築100年近いだけあって随分と年季が入っている様だった。廃墟と言うには未だ綺麗だが、少し前までここに子供の嬌声が響き亘っていたのかと思うと、何処か切ない気分になる。世の中には廃墟マニアの存在が少なくないらしいが、諸行無常という万物が抗えぬこの世の摂理を体感する事が出来るのだから、何も珍しいものではないだろう。実際に自分も、それのみを目当てにする事はないものの何かのついでであれば、いつも見る事を楽しみにしている。
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そうして終に、本丸へ到着した。小学校のグランドとして利用された為、天守台等の石垣は全て撤去されてしまっているのが残念だが、眺望自体は中々良いものだった。wikipediaに掲載されている写真と比較すると、やはりまた切なくなる。
本丸のもう一方の入口付近には12月1日より実施されている
天守を模したイルミネーションのスタンドが建っていた。
夜になると
こんな光景が見える様である。
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鳥羽市を去る前に、昼食を摂る事にした。まだ12時少し前であったが、朝食は出発前に購入した菓子パン2つだったので、空腹で仕方なかったのだ。
七越茶屋という創業50年の食事処で
大あさり磯うどんといううどんを頂いた。本当は伊勢うどんを食べてみたかったのだが、食品サンプルの大あさりを見て食べてみたくなったのだ。あさり自体は期待を上回る程ではなかったが、麺や汁はとても美味しかった。
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満腹になった所で、次なる目的地「松阪」へと向かう。勿論、城跡を見に。
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