明石紀行 旅行記 2013年06月30日 ※今回の最高の一枚 4月初旬に姫路市を訪れた際に購入した4枚綴りの回数券が1枚残っており、その期限が7月7日までであった。折角購入したものを使わないのは勿体無い。そこで前回行く事が出来なかった明石市と赤穂市へ観光する事にした。―明石市(播磨国) 明石は時の街である。到る所に時計が在るのは、果たして気の所為だろうか。明石城を訪れると、大手口を潜って直ぐの所に「とき打ち太鼓」がある。この時は拝む事が出来なかったが、定刻になるとからくり人形が太鼓を叩き始めるのだと云う。嘗ての三の丸は公園と庭園に、御屋敷曲輪は堀が埋め立てられ公園と野球場に、それぞれ生まれ変わっていた。庭園は近年になって復元整備されたものらしく小規模ながら風光明媚であるが、公園の方はただ芝生が広がっているだけに過ぎない。然し何れにせよ、子供の格好の遊び場である事には変わらない様で、笑い声やはしゃぎ声が絶える事はなかった。そして本丸や二の丸へと向かう分岐点にも日時計が置かれていた。また本丸へと向かう道中には、阪神・淡路大震災の被害を記した碑がひっそりと立っていた。県立明石公園全体図 中部幾次郎翁銅像 県立明石公園 大手口 とき打ち太鼓 とき打ち太鼓記念碑 武蔵の庭園 武蔵の庭園全体図 御茶屋 大滝 小滝 連理のクスノキ 東屋 乙女池と中島 鞠の懸り 門 日時計 阪神・淡路大震災記録の碑 --- 本丸の外輪に沿って走る道に入ると、それまでの景色は一変する。急に山道へと入った感覚になるのだ。そして稲荷曲輪へと繋がっている道に入ると比較的急な坂道となり、稲荷曲輪へと入ると木々が鬱蒼と茂った光景を見る事になる。そして偶然だろうか、その木々の向こうでは尺八を奏でるご老人が居り、その調べは何処か無常さを語りかけている様だった。一度もあげられる事のなかったと言う天守台は、稲荷曲輪から溢れ出た枝葉に視界を隠されておりその全体像を一望する事は難しい。城郭を訪れる際に葉の落ちる冬の時期が好まれるのは、そういった理由があるのだが、それも納得出来るというものだ。本丸の背後に当たる北側には、曲輪らしい曲輪がない。嘗ては北の丸と言う曲輪が在ったが、今では競技場や複数の公立図書館が建ち並んでおり、堀は埋められ石垣は取り除かれている。ただこの北の丸も、もともと大して複雑な構造にはなっておらず、防御面では弱点になる所を剛ノ池や桜掘と言った天然の要害で済ましている為だ。これらは現存しており、中でも剛ノ池ではボートに乗る事も出来る。そして一通り見回った所で、肝心の本丸へと向かう。どういった光景が広がっているのだろうか。稲荷曲輪の麓から坤櫓を望む 稲荷曲輪虎口跡から坤櫓を望む 天守台(外) 稲荷曲輪櫓台跡 稲荷曲輪 桜堀方面から稲荷曲輪へと向かう道 桜掘 喜春橋 本丸北口 --- 明石城の本丸は、稲荷曲輪程ではないとは言え、十分に木々が茂っていた。流石に現存する2つの櫓の周囲はきちんと整備されているが、艮櫓跡や乾櫓跡、天守台の周囲は全く手が加えられていないのか、予め存在を知らないと見落としそうになる。個人的には天守台の周囲くらいは木々を伐採した方が良いと思うのだが…。本丸側から覘く坤櫓や巽櫓は、以前訪れた丸亀城天守を髣髴とさせる。特に坤櫓は天守の代用と見做されていたそうだが、それも納得出来る規模である。なお明石城は現存する2つの櫓を除き、入城料が取られていない。そのためなのか、乾櫓跡を除き殆どの箇所で解説板が無く門の名称などが全く判らなかった。そのためここでは「○○口」と、方角で区別を図る事にしている。正式名称ではないのでくれぐれも勘違いされない様、気を付けてもらいたい。天守台(内) 天守台 天守台から坤櫓を望む 坤櫓(内) 横山蜃楼句碑 人丸塚 巽櫓(内) 艮櫓跡1 艮櫓跡2 乾櫓跡 本丸東口 --- 明石城は市民に親しまれているのであろう、二の丸ではベンチで読書をする若者が、東の丸ではオペラ?を謡う中年の女性が居た。他の城郭を訪れた時には出くわさなかった光景ばかりで、新鮮味が有った。東の丸から二の丸、三の丸へと下る坂道は洗練された高石垣で囲まれており、非常に見応えがあった。また三の丸の外堀は幅が広く、当時はある筈も無かった噴水でさえも溶け込んでしまっていた。二の丸 二の丸東口 東曲輪北口 東曲輪東口と南口 桜掘へ至る行道 薬研堀 松平直明公遺愛お茶の水 至二の丸登城路 坤櫓(左)と巽櫓(右) 三の丸と外堀 三の丸東口と櫓台 三の丸東口 --- 明石城を発ち、文化博物館と天文科学館へ。文化博物館の常設展示の内容が思いの外面白く、当初予定していた分配時間を1時間強も超過する事になってしまった。その為、天文科学館には日本標準時子午線を見る事しか出来なかったのが悔やまれる。明石市立文化博物館 明石藩主菩提所 明石市立天文科学館 日本標準時子午線の標識 雲晴寺 麺屋明石 たこかき揚げそば --- こうして明石市の旅路を終え、赤穂市へ向かう事となった。〝時の街〟明石は、旅人の時間までも自由自在に操る不思議な街だったと言えよう。■次へ■[0回]PR